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    きーさん 添乗員日記
 
 
北陸中日新聞
      に掲載中
過去の記事
  ベトナムは今<1>
初添乗のころ<2>
長江横断遠泳大会<3>
ワインのお返し<4>
夫婦円満旅行の誕生<5>
沈まぬ太陽<6>
キーウエストの神風<7>
五番街ティファニー<8>
『ルンビニー園』<9>
・機長と社長<10>
海の都で<11>
動物漫才<12>
ロードサイド店<13>
危機一髪?<14>
新入り操縦士<15>
スキーツアー企画<16>
『ほのぼの旅行』<17>
出向を命ず<18>
ハイジャックに<19>
シンデレラ城<20>
休息とお祭りの島<21>
国際結婚<22>
ハイティー<23>
オリンピック<24>
買い物<25>
アスワンでの母娘<26>
ルクソールの休日<27>
大失敗の巻き<28>
自由行動日<29>
香港に始まって<30>



 

機長と社長

1993年(平成5年)4月、
小松空港JAZ(ジャパンエアーチャーター)チャーター便は253人満席でホノルルに向けて出発した。
北陸の建設関連会社が創業25周年を記念して実施したもの。

この会社は従来から社員の福利厚生に力を入れており、海外旅行も何度か実施しているが、小松からのチャーター便はこれが最初。

しばらくして、社長が機内のマイクを使用してあいさつを行った。
みなさん、本日はご搭乗誠にありがとうございます。
 私は機長ではございません。M社の社長です・・・・・


計画当初から、定期便利用よりも運賃が割高になるなど、リスクの高いチャーター便を希望された謎が解けた思いがした。

一代で会社を興し、従業員が関連を含め300人を超え、チャーター便を貸し切るまでになったこと。
そして、25周年を迎え社員の貢献に報いたい、という思いがひしひしと伝わってきた。
男のロマンがこの旅行に込められている、と強く感じ何としても成功させなければと添乗員一同、さらに心を引き締めたことだった。


ホノルルのハイヤット・リージェンシーに全員宿泊した翌日のことだった。
社員が1人、朝方から苦しんでいる。
という電話が入った。

早速部屋に行ってみると、昨夜から若手の社員が集まって飲み会を行っていた様子。
ホテルのセキュリティーに連絡、救急車を手配し病院へ同行。
救急社内では救護員が保険に加入しているかを尋ね、加入しているのを確認していた。

しばらくして、便の状態を調べたいので言葉の問題もあり、一緒にトイレに入ってほしいとのこと。
一坪はあろうかと思われるトイレに本人が座り、女医と私が立ち会うという誠に貴重な体験となった。
結果は急性アルコール中毒で、入院が必要と診断された。

後で分かったことだが、ここはホノルルで1番設備が充実した病院で、部屋はすべて浴室付きの1人部屋。
まるでホテルにいるような感じ。看護婦も明るい。
医療費は、1泊入院治療で約38万円の請求。
すべて加入保険で支払われた。
いまさらながら旅行保険加入の必要性を思い知らされた。

旅行最終日、
モアナ・サーフライダーでのディナーパーティーでお礼のあいさつをされる社長の目に、キラリと光るものが認められた。


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