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    きーさん 添乗員日記
  天安門広場で全員集合
 
北陸中日新聞
      に掲載中
過去の記事
  ベトナムは今<1>
初添乗のころ<2>
長江横断遠泳大会<3>
ワインのお返し<4>
夫婦円満旅行の誕生<5>
沈まぬ太陽<6>
キーウエストの神風<7>
五番街ティファニー<8>
『ルンビニー園』<9>
機長と社長<10>
海の都で<11>
・動物漫才<12>
ロードサイド店<13>
危機一髪?<14>
新入り操縦士<15>
スキーツアー企画<16>
『ほのぼの旅行』<17>
出向を命ず<18>
ハイジャックに<19>
シンデレラ城<20>
休息とお祭りの島<21>
国際結婚<22>
ハイティー<23>
オリンピック<24>
買い物<25>
アスワンでの母娘<26>
ルクソールの休日<27>
大失敗の巻き<28>
自由行動日<29>
香港に始まって<30>



 
動物漫才

大型団体になると、旅行を円滑に運ぶために、時々事前の下見が必要になることがある。

北陸のある地区のJC(日本青年会議所)が青少年の国際交流を目的として、中学生を対象に中国へ『少年の翼』を計画、
JTBがその旅行を担当した。

1985年(昭和60年)8月、
本隊が全日空のチャーター便で日本を出発する1週間前に、私は北京経由で中国の北部にある瀋陽(旧奉天)に向かった。

到着後、出迎えの中国国際旅行社の瀋陽分社の担当者と早速打ち合わせを行った。

翌日、日本からの本隊150余人を迎えるため、大連に向けて列車に乗り込んだ。
食堂車が付いていないとのことで、ホテルで用意してもらったボックスランチを積み込んだ。
その中身は、ゆで卵・食パン・鳥の唐揚げ・スライスハム・果物だった。

乗車後、しばらくして同行の担当者と私がその弁当を開いていると、車内放送が始まった。
突然スピーカーから、2人の男性のにぎやかな掛け合いが流れ、時折ニワトリや犬の鳴き声など動物の真似をする。
そして、そのたびに乗客は一斉に笑い出す。
私も一緒になって笑っていると、担当者は、
「これは中国の漫才です。」
と言った。

その楽しい笑い声を聞いていると、
夜、ラジオにかじりついてエンタツ・アチャコの漫才に聞き入っていた懐かしい時代が思い出され、なぜか新鮮な、そしてほのぼのとした気持ちにさせられた。
そして、今までにないおいしい昼弁当となった。

久しぶりの真夏の大連は、
木々の緑が澄み切った青空に映え、カラッとした大陸性気候が私たちを迎えてくれた。

受け入れの打ち合わせが終わった後、
半日の余裕が取れたので、港の見える高台のホテルから車で街に出た。
行き交う人々の表情は、以前より明るく、
活気があり相変わらず美人が多い。
戦前の日本人街を通り大連港に立ち寄った。
案内所で連絡船の時刻表を手にいれた。
ここから南の天津港や青島港への便数が以前よりも多くなっている。中国人旅行者や荷物の往来が盛んになっているようだ。

その大連に本隊は無事到着し、
添乗員3人で行程を順調に消化していった。
今回の旅行のメーンイベントは、瀋陽市の工人体育館で行われる日中友好運動会と、その後の少年宮でのキャンプファイヤー交歓会だ。
特に運動会は当日2000人の少年少女が集い、日本から、もって来た大玉転がし、棒倒し、玉入れなどで大変盛り上がった。

旅行の計画段階からJCのメンバーのチームワークの良さと、旅行中の子供たちに対する一生懸命なお世話があって、はじめてこの旅行が成功したのだ、と感じ旅行業者として見習うべきことが多い旅となった。


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