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    きーさん 添乗員日記
 
 
北陸中日新聞
      に掲載中
過去の記事
  ベトナムは今<1>
初添乗のころ<2>
長江横断遠泳大会<3>
・ワインのお返し<4>
夫婦円満旅行の誕生<5>
沈まぬ太陽<6>
キーウエストの神風<7>
五番街ティファニー<8>
『ルンビニー園』<9>
機長と社長<10>
海の都で<11>
動物漫才<12>
ロードサイド店<13>
危機一髪?<14>
新入り操縦士<15>
スキーツアー企画<16>
『ほのぼの旅行』<17>
出向を命ず<18>
ハイジャックに<19>
シンデレラ城<20>
休息とお祭りの島<21>
国際結婚<22>
ハイティー<23>
オリンピック<24>
買い物<25>
アスワンでの母娘<26>
ルクソールの休日<27>
大失敗の巻き<28>
自由行動日<29>
香港に始まって<30>



 

ワインのお返し

あるデパートのお客様をご案内して、ヨーロッパへ添乗した時のこと。団員は男性2人と女性20人に、私の計23人。

スペイン・南仏と回って最終目的地パリの
『アンバサダーホテル』にチェックインし、
夕食は当時三ツ星レストランとして大変有名だった
『マキシムドパリ』。
デパート側から
「最終日は豪華なレストランでの晩餐会にしてほしい」
とコース作成時に要望され、組み込んだもの。

さて出陣、とホテルのロビーに集合した団員を見て、周りの外国人客が一斉に
「ピュー」と口笛を吹くほどの華やかさ。
もちろん今夜は従者の男性3人もダークスーツのいでたちである。

1977年(昭和52年)の9月とはいえ、パリに着いた日はコートが欲しいぐらいの肌寒い年だった。
しかし、出発からこの夜のために衣装を新調してきた団員は頬を紅潮させ、コンコルド広場に近いこのレストランに入った。

かの有名な富豪オナシスが常連と聞いていたので、添乗員としては今だかつて無い大そうなチップをボーイに支払った。
ところが、
案内された席は2階の調理場に近い、生演奏が聞きにくい意外な場所だった。
見渡すと満席状態なので、仕方なくひと通りメニューの説明をした後、ワインのテイスティングをすることになった。

ワインはレストラン推薦のボルドーの赤ワイン。
注文したのはよかったが、ひと口含み飲み干した際に小首を傾げてしまった。
なぜだか、自分でも理由は分からないし、ワイン通でもない私がケチをつけられるはずもない。

すると控えていたボーイがすっ飛んできて、私のグラスはもとより、団員のグラスを引き上げた。
そして、ソムリエが、衝立の影で、今開けたボトルのワインをグラスに注ぎ、ひと口・ふた口含んでいる様子。
しばらくして、今度はソムリエが小首を傾げた。

「こんなおいしいワインなのに、おかしいなぁ。」

当時は、日本人の食事のマナーは団体になると騒がしい、というのが残念ながらの定評だった。

しかし海外旅行に出かける人が増え、
マナーも向上していると感じていた矢先だったので、
通りいっぺんの扱いに少々抵抗したのかもしれない。

料理はおいしく、メーンディッシュはもとより、アイスクリームの上に取れたての木いちごをのせたデザートは絶品。
帰国してからも団員の口の端に上るほど。

残念ながら、近年このレストランも栄枯盛衰の波に洗われ、あまり名前が聞かれなくなったが、どこのホテルやレストランでも、日本人客は上等席の評価を受けるようになってきた。


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