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    きーさん 添乗員日記
 
 
北陸中日新聞
      に掲載中
過去の記事
  ベトナムは今<1>
初添乗のころ<2>
長江横断遠泳大会<3>
ワインのお返し<4>
夫婦円満旅行の誕生<5>
沈まぬ太陽<6>
キーウエストの神風<7>
五番街ティファニー<8>
『ルンビニー園』<9>
機長と社長<10>
海の都で<11>
動物漫才<12>
ロードサイド店<13>
危機一髪?<14>
新入り操縦士<15>
・スキーツアー企画<16>
『ほのぼの旅行』<17>
出向を命ず<18>
ハイジャックに<19>
シンデレラ城<20>
休息とお祭りの島<21>
国際結婚<22>
ハイティー<23>
オリンピック<24>
買い物<25>
アスワンでの母娘<26>
ルクソールの休日<27>
大失敗の巻き<28>
自由行動日<29>
香港に始まって<30>



 

スキーツアー企画

一里野高原スキー場が
1977年(昭和52年)12月にオープンした。

尾口村村長から、スキー場への誘客のため、
金沢から日帰りのスキーツアーを企画してほしい
との話があった。

当時は、今ほどスキーが盛んではなく、
志賀高原や赤倉へのスキーツアーをシーズン中に、1・2本実施していた程度だった。

往復バスと1日リフト券をセットし、尾口村観光協会長だった現村長の山崎正夫氏にお願いして一理の観光ホテルでの入浴券も付けて発売した。

オープン第1便を早朝の金沢駅へ見送りに行ったところ、
小学生や中学生の参加者で大変な混雑だった。

その後、シーズン中の毎日曜日の催行だったが、増車に次ぐ増車で大変好評を得た。
修学旅行以外に小・中学生のお世話をすることがなかった旅行業者として、この企画に喜んでもらえたことに感激した。

この子供たちが大きくなって、ハネムーンや家族旅行に引き続きお客になっていただこうと何度もスキー場へ足を運んだ。


翌年には、志賀高原や赤倉・野沢方面に直行スキーバス
ホワイトアロー号』を企画、
シーズン中の土・日曜催行を開始した。


そうこうしているうちに、気がつくとスキーを知らなかった私が、スキーをはいている。スキーの面白さも分かってきた。

そんな折、北海道の同僚で、JTB札幌支店にいたO君が、当社の経営する『札幌国際スキー場』に出向したとの連絡が入った。
早速、全日空金沢支店長だった猪瀬誠三氏に
北海道スキーツアー』の計画を持ちかけた。

冬の札幌便は夏に比べて搭乗率が悪いのが全日空の頭痛のタネだったようで、二つ返事だった。

大阪から赴任していた支店長に、
スキーを知ってもらうことがこの際必要である。
と何度か一里野にご一緒して滑った。

いよいよ企画の募集に入ったのだが、思うようにお客様が集まらない。
『スキーで北海道に行く人』
は、まだまだ珍しい時代だったので、時期尚早だったようだ。

しかし、先進地の北海道は設備も充実しており、ナイタースキーやアフタースキーの楽しみもある。
当時は、東京からのお客様が大変多く、いずれ北陸のお客様も行ってくれると確信した。

その後のスキー旅行の需要は、若者を中心にどんどん盛んになっていった。
そしてしばらくして、北陸地区でJTB関連会社として
『サン&サン北陸』がスキー・スポーツ主催旅行を主業務に設立された。


今では、カナダ・ヨーロッパ・ニュージーランドなど海外にまでスキーに出かけて行く。
もちろん、ハネムーン客も多い。
『日帰り一里野スキーツアー』のあの子供たちも、きっと参加してくれているに違いない。


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