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    きーさん 添乗員日記
 
 
北陸中日新聞
      に掲載中
過去の記事
  ベトナムは今<1>
初添乗のころ<2>
長江横断遠泳大会<3>
ワインのお返し<4>
夫婦円満旅行の誕生<5>
沈まぬ太陽<6>
キーウエストの神風<7>
五番街ティファニー<8>
『ルンビニー園』<9>
機長と社長<10>
海の都で<11>
動物漫才<12>
ロードサイド店<13>
危機一髪?<14>
新入り操縦士<15>
スキーツアー企画<16>
『ほのぼの旅行』<17>
出向を命ず<18>
・ハイジャックに<19>
シンデレラ城<20>
休息とお祭りの島<21>
国際結婚<22>
ハイティー<23>
オリンピック<24>
買い物<25>
アスワンでの母娘<26>
ルクソールの休日<27>
大失敗の巻き<28>
自由行動日<29>
香港に始まって<30>



 

ハイジャックに

1995年(平成7年)6月21日昼下がり

プルルーン
と机上の電話が鳴った。

「全日空857便函館行きがハイジャックされた。
 金沢西インター店扱いの団体が乗っている模様だ。」

本社からの連絡だった。


一瞬、我が耳を疑った。
そして、その団体名と添乗員の顔が浮かんだ。
数日前、別の用件で、金沢西インター店で店長と打ち合わせを行っていたとき、隣の机でJTB専属の女性添乗員のMが添乗する北海道へ予約確認の電話を入れていた。
「気をつけて行って来いよ。」
と、声を掛けて店を出たことを思い出した。

早速、店にかけつけると地元のマスコミが数社情報を取りに見えた。
  「どんな団体だったのか。」
  「名簿を教えてほしい。」
その間にも、東京・大阪のテレビ局などから電話が殺到して戦場のような騒ぎとなった。
個人・団体を含めたマスコミとの対応はJTB本社広報室と決定された。店長には、その旨を伝えて対応してもらった。

電話に飛びついて、団体のお客様の留守宅への電話を開始した。連絡のついたお客様の中には、テレビで知った人もいたが、ほとんどは、「エーッ!」という返答が返ってきた。
また、年配の女性グループだったこともあり、1人暮らしで連絡のつかない人も何人かいた。
4時間、5時間と経過し、こう着状態の中、ご家族との連絡も多くなる。

「新しい情報はないか。」
「朝一番の飛行機でとりあえず東京まで行きたい。」・・・・・

全日空側からも、東京まで行かれる方の手配はいつでも準備している旨の連絡は入っていたが、大半のご家族はしばらく様子を見て行動したいということで落ち着いた。


午後2時過ぎ、
店内である新聞社の女性記者が携帯電話でどこかと連絡を取り合った後に、
「北河さん、函館空港で警察が動き出した様子です。」
「団体の函館での宿泊場所を教えてください。」
と言った。

いよいよ、函館で解決する行動に出たのだと推測して、宿泊予定ホテルへ仮眠の手配をお願いした。

そして、午後4時少し前、捜査員が機内に突入解決となった。
「全員無事」
との添乗員からの報告で、ホッと胸をなでおろし、
ご家族への連絡を開始した。
行動予定を確認し終わった頃、夜が明けた。

その後、予定の観光コースを終えて帰られた皆様にごあいさつをさせていただいた時、あるお客様が
「添乗員さんも大変だったんですよ。」
というお言葉をいただき、正直なところ、あの状況の中でよく無事引率して帰って来てくれたと思う。

翌日の新聞紙上で
「旅行を続けてよかった。」
という見出しで大きくお客様のコメントが紹介されて、全員無事で本当によかった、としみじみ感じた。


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