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    きーさん 添乗員日記
 
 
北陸中日新聞
      に掲載中
過去の記事
  ・ベトナムは今<1>
初添乗のころ<2>
長江横断遠泳大会<3>
ワインのお返し<4>
夫婦円満旅行の誕生<5>
沈まぬ太陽<6>
キーウエストの神風<7>
五番街ティファニー<8>
『ルンビニー園』<9>
機長と社長<10>
海の都で<11>
動物漫才<12>
ロードサイド店<13>
危機一髪?<14>
新入り操縦士<15>
スキーツアー企画<16>
『ほのぼの旅行』<17>
出向を命ず<18>
ハイジャックに<19>
シンデレラ城<20>
休息とお祭りの島<21>
国際結婚<22>
ハイティー<23>
オリンピック<24>
買い物<25>
アスワンでの母娘<26>
ルクソールの休日<27>
大失敗の巻き<28>
自由行動日<29>
香港に始まって<30>



 

ベトナムは今

平成7年が始まったばかりの1月8日、関西空港発のベトナムホーチミン(旧サイゴン)行きの日航機上から今年の添乗が始まった。

ホーチミンまで6時間余りの飛行。
今回の旅行は、北陸のプレハブメーカーの会長を団長に、経済視察が目的の旅だ。
ホーチミン市の商工会議所にアポイントを取り、2時間余り懇談する機会を得た。

日越両国旗がテーブルに向かい合って並んだ会議室で待機すること数分。フランス風のしゃれた会議所の建物の中央にある階段から、ゆっくり下りて来られたのは、上品な薄いピンク色のアオザイをまとった初老の婦人だった。
通訳はその婦人の姿が見えると姿勢を正し、おもむろに
「総裁です。」と言った。

総裁は席に着く前に、視察団の側に歩み寄り、名刺の交換から始まった。
会議は視察団側の質問で終始したが、総裁はひとつひとつ丁寧に答えられた。後で知らされたのだが、総裁はペトコンの闘士だったとのこと。


ホーチミンは、いまが乾季で日中の気温が25度前後の暑さだが、”カラッ”と過ごしやすい気候。今回、ホーチミン郊外のマングローブの見事な、メコン川デルタ地帯をひねもす船でめぐった。
途中の島に上陸、風通しの良い木造りの食堂で休憩した折、今まで目にしたことのない果物が出された。
ミルクアップルといい、色は青りんごに似た、形は丸い小さめな瓜。
乙女の乳房のような、ほど良い柔らかさと肌触りを持っている。
スプーンで果肉をすくうと、白いミルクが一緒に口の中に入り、何とも言えない上品な甘い味がした。

団長が突然
「念力をかけなくてもスプーンが曲がったがいや。」
昭和20年代後半、何かを食べようとして同じ経験をしたことを思い出した。それにしても人々の生活は、言葉に表せないほど活気付いていた。

市内の道路は日本製のバイクがあふれ、その間を自動車がクラクションを鳴らして走る。信号もあまり見当たらず、それでいて渋滞もない。5日間の滞在中に、交通事故はもちろんバイク同士の接触さえもお目にかからなかった。
団員の中に自動車学校の部長がいて、旅の終わりごろには頭の中がパニックになった様子だった。皆に向かっていわく
「自動車教習とは、交通信号とは。」

ベトナムの人々は、戦禍があった事を我々に感じさせない元気な姿に接し、全員が「清々しい気持ちにさせられた旅」と話してくれた。


帰国してから数日後、ベトナムとの交流をもっと深めるために団長を中心に、「北陸ベトナム友好協会」設立の発表会が金沢のホテルで行われた。
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