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長江(揚子江)横断遠泳大会
北京駅から武昌駅までの20時間の列車の旅が始まろうとしていた。
北京発13列車は15時発まで、まだ少し時間があったので、私は列車の編成を調べるため先頭の方へまわった。
1976年(昭和51年)の7月、
JTB(日本交通公社)が組織した社員学習友好訪中団の団員として参加した時のこと。
1972年(昭和47年)9月、
日中国交正常化が果たされてから、観光産業の有望国として中国へ全国のJTBから毎年20名ほどの社員を派遣していた。
第3回目の今回は、本社の常務を団長に19名。
定刻に出発した列車は、一路武昌駅へ―――。
見渡す限りの田園地帯を横切って走る。
地平線に沈む夕陽が大きい。
7月15日の午前11時に武漢の表玄関、武昌駅へ到着したときの気温は、30度を超えていた。
武漢は、武昌、漢陽、漢口の町を総称しているが、
その漢陽と武昌の間に揚子江(現在の長江)が流れ、そこに1,7キロもの長さの長江大橋が架けられている。
われわれは漢口の勝利飯店に宿泊。
夕食時に通訳から
「明日は、皆様を毛主席の長江遠泳10周年行事に招待します。」と告げられた。
7月16日の長江は、豪雨の後のように、岸のちょっとしたでっぱりにも、茶色の水が激しくしぶきを上げてははね返り流れていた。
上海と武漢の間の揚子江を往復する3000トンもの客船を貸し切って乗船した19人は、河の中央で停船した。
間もなく、河岸から黒い一団が川に入り、濁流を泳ぎだした。
また一団、、また一団と続々川上へ向かうように泳いでいる。
よく見ると銃をかついでいる人、スローガンを書いた旗を持っている人もいる。
全員が首にひもをつけて浮き袋を流している。
河の真ん中に来たころには1人、2人と流される人も出始めた。それを拾う舟が川下に待機している。
小・中学生を中心にした100人の一団が100組、1万人の大遠泳大会なのだ。
川が黒くなるように感じたころ、客船は対岸に着いた。
そこには、今泳ぎきった人々が黒山のように集まって来てわれわれの下船を拍手で迎えてくれた。
まだ、観光が自由にできない北京、武漢、上海と2週間の旅で、食事は二度と同じ献立にお目にかからなかった綿密な打ち合わせ、そして、この記念行事に日程を合わせる中国国際旅行社のスケジュールに団員全員が舌を巻いてしまった。
そして中国人民のパワーを恐ろしいほどに感じた旅でもあった。
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