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夫婦円満旅行の誕生
「北河君、気の合った夫婦10組ぐらいで、
年1回海外旅行を計画してくれないか。」
と、相談を持ちかけられたのは、鶴来町に本社がある酒造会社の社長だった。
私がJTBに入社したころから、
大変お世話になっているお得意様。
「条件は朝ゆっくり出発、夕方は早めにホテルへ入り、
同じ場所で2泊する。
出きれば旅の中程で1日何もしない日を入れてほしい。」
この申し出に今まで海外旅行では定番コースをお勧めすることが多く、旅行業者としてお客様のニーズに十分満足してもらえる、旅行商品の基本をおろそかにしているのでは、と気付いて二つ返事で引き受けた。
第1回目はオーストラリアの大陸横断鉄道に乗り、
エアーズロックに登る10日間のコースに決まった。
早速、予約手配をしたが、
この列車(インディアンパシフィック号)は欧米の観光客に大変人気の高い豪華列車で、予約が順番待ちの状況だった。
ようやく出発できたのは1988年(昭和63年)10月。
オーストラリア西海岸のパース駅からアデレード駅までの2泊3日から始まった。
熟年夫婦8組は、2人用個室(洗面・トイレ付き)それぞれがラウンジカーで談笑したり、風景を楽しんでいる。
また、個室では持参した本を読み、夜はバーでお酒を楽しみ、食堂車でゆっくり食事をとる。
ゆったりと時は流れていた。
当初、長い列車の旅は退屈しないか一抹の不安があったが
「こんなに夫婦で語り合う時間を今までに持つことは無かった」
など、大変好評だった。
それからオーストラリアの”へそ”と呼ばれる
エアーズロックに向かったが、ここでハプニングが起こった。
バスでエアーズロックの登山口まで行ったとき、
団員の1人が青白い顔をして
「この山は危険やから、登らんとおくまいかいや。」
突然のことで、一瞬何のことかと当惑していると、もう1人が
「そうや!そうや!」。
標高250メートル、山全体が大きな岩。
途中まで鎖を頼りに登るため、全員が日本から軍手を用意してきている。
ひょっと見ると登り口の岩のところに登山中に落ちて亡くなった人のレリーフが5枚埋め込まれている。
とっさにこれは高所恐怖症気味なのだと判断して、
2人に登山をご遠慮願った。
大柄でスポーツマンタイプの2人はその後、全員が下山してからも口数が少なかった。
夕食時に用意していた「登山証明書」を全員に渡した。
その2人には
「エアーズロックに足もかけなかった」と英文で書き込まれてあり、全員で大笑い。
登山できなかった2人は、奥様に一層優しくなったようにはた目には感じられた。
まことにほほえましい夫婦円満旅行の始まりとなった。
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